■No.262 教育の公私
H24.6.15発


教育の公私

 私は、いまの教育については「公教育」ばかりが全てであるかのようにいわれていることに大いに不満を感じています。
 最近は、この「公私」の区別を付けないがために、学校という公教育の場に私教育的な内容、当然、家庭で行うべき、例えば、箸の持ち方などを教えることを平気で求めてくる親や保護者が多くいると聞きますが、もっと問題なのは、それが当然のごとく受け止められ、「学校がやるべきだ」と言わんばかりの社会風潮やマスコミ報道です。
 ある識者は、このようなことがはびこると、家庭や地域では「私教育」はますます行なわれなくなり、社会全体が「教育」的が関心の薄れた干からびたものになる、果たして、そうした社会に子どもたちが、本当に幸せを感じるのだろうかと言っているのですが、まことに同感です。
 もちろん、学校や教師が楽をするために親や保護者に教育を求めているのではないのですが、子ども自身に、もっともっと親や保護者による教育、すなわち「私教育」が求められているのであり、もし「教育のことは学校や先生に任せているから知らない」という態度を取ったならば、子どももどれほど寂しい思いをするのではと感じます。子どもたちがほとんど学校に通っていなかった明治時代やそれ以前のことを考えると、日常の生活は全てが「私教育」であり、「公教育制度」が整備され始めたことにより、その一部を一定の意図と責任を持って「公教育」として行ったものです。
 個々の家庭内の「私教育」は他人には決してまねできないものであり「公教育」とは違うものだということを、あらためて明確にしてほしいと思うのですが、皆さんはいかがお考えになっているのでしょうか。

(H24.6.15)