■No.29   H16.11.15発


 僅か10数年前には、21世紀は日本の時代と言われたのですが、最近は社会の様々な面で翳りが見えているのはご承知のとおりです。それは急速な少子高齢化の進行、国際競争力の低下であり、さらには日本人のアイデンティティ、ここでは日本精神、例えば仏教、儒教、武士道、侘び寂の心を指すかと思いますが、これらが日本人の心の拠りどころでなくなったとの指摘であると思います。
 先行きの不安を解消し、人々に勇気と希望を与えることが出来ないのは政治家の大きな責任があると思いますが、今、発想の転換や社会全体の制度、システムの変革が求められる中、取り組むべきことは、まず、第一に教育の有り方であるという考え方が、大きく広がっています。
 戦後の「教育基本法」では、ひたすら「個人の価値」が重視され、単なる子どもの「わがまま」が「個性」とされるような風潮を助長し、そのことが今日の教育混迷の引き金になったと言われます。久しく叫ばれている「教育基本法」の改正を急がなかったら、これからの日本の国の行方もまた不透明と言わざるを得ません。
 先般も、三位一体改革へと進む中、知事会など地方六団体は「国庫補助負担金等に関する改革案」を、この機会を逃せばと小泉総理からの球を投げ返す形で発表しました。
 そこで、一番議論になったのは義務教育の問題であり、このことに文部科学大臣は「これが無くなると、義務教育に対して国としての責任はもう果たせなくなる」と、国の教育への責任を強調しました。
 小中学校を実際に運営しているのは、一部例外があっても、ほとんどが市町村ですが、義務教育費の中からわざわざ中学校分8500億円だけを引き裂くことは私には理解できません。地方分権実現には、税源移譲が必要であるのは当然ですが、何でもかんでもとにかく財源を地方に地方にというのでは、リーダーの考え一つでいつの間にやら教育方針がバラバラとなったり、教育の質が落ちることも考えられます。 あとで、それはおかしいと言って教育費をけずった県の名前を発表しても、もう取り返しがつかない話です。
 谷本知事も、以前、義務教育費国庫負担金が一般財源化されると石川県ではもっと質の高い義務教育を目指せると言っていました。しかし、はっきりそう断言できるのでしょうか。財政の厳しさのあまり教育以外の分野に向けられる可能性は当然考えられます。
 また、予算がクラスの少人数かによる人件費に多く割かれたりすると、とてもではありませんが、「食育」や「給食」までには、手がまわらなくなるのではと思います。皆さんのご意見をいただきたいと思います。

(H16.11.15)